正道会館
1991年9月14日、リングス札幌大会に、石井和義館長(当時)と佐竹雅昭が表敬訪問。
1991年11月17日にリングスと正道会館との業務提携が発表され、
1991年12月7日、リングス有明大会より佐竹雅昭、角田信朗が参戦。
以後、彼らはリングスマットで戦うこととなる。
しかし、提携から約1年後の1992年10月29日、リングス名古屋大会トーナメント1回戦における
佐竹雅昭VS長井満也の一戦において、佐竹が打撃でKO勝ち。
しかし、拳で殴ったのではないかと山本、成瀬が佐竹につめより、
判定が二転三転するなどして石井館長が激怒。
結局、佐竹の打撃は掌低とみなされ当初の通り佐竹のKO勝ちとなったが後味の悪い結果に。
佐竹は右胸骨の怪我で二回戦を欠場し、以後、翌年1992年7月13日大阪大会の角田参戦をもって
リングスと正道会館の業務提携は事実上終了する。
佐竹雅昭 9戦6勝3引き分け
△ |
ハンス・ナイマン |
時間切れ引き分け |
1991年12月7日 |
有明コロシアム |
○ |
ジェラルド・ゴルドー |
2R2分13秒 反則 |
1992年1月25日 |
東京ベイNKホール |
○ |
フレッド・オーストロン |
6分22秒 KO |
1992年3月5日 |
尼崎市記念公園総合体育館 |
○ |
ヘルマン・レンティング |
7分29秒 KO |
1992年4月3日 |
広島サンプラザホール |
○ |
バート・コップスJr |
2R2分9秒 KO |
1992年5月16日 |
有明コロシアム |
△ |
ウィリー・ピータース |
時間切れ引き分け |
1992年6月25日 |
宮城県スポーツセンター |
○ |
ピーター・ウラ |
4R1分21秒 KO |
1992年7月16日 |
大阪府立体育会館 |
△ |
ロブ・カーマン |
時間切れ引き分け |
1992年8月21日 |
横浜アリーナ |
○ |
長井満也 |
1R1分24秒 KO |
1992年10月29日 |
名古屋レインボーホール |
角田信朗 13戦4勝8敗1引き分け
△ |
ヘルマン・レンティング |
時間切れ引き分け |
1991年12月7日 |
有明コロシアム |
× |
ロブ・カーマン |
3R2分3秒 レフェリーストップ |
1992年1月25日 |
東京ベイNKホール |
○ |
ルディ・イウォルド |
6分10秒 レフェリーストップ |
1992年3月5日 |
尼崎市記念公園総合体育館 |
× |
トム・フォン・マウリック |
6分38秒 膝十字固め |
1992年4月3日 |
広島サンプラザホール |
× |
長井満也 |
判定 |
1992年6月25日 |
宮城県スポーツセンター |
○ |
武南幸宏 |
2R59秒 TKO |
1992年7月16日 |
大阪府立体育会館 |
× |
西良典 |
判定 |
1992年8月21日 |
横浜アリーナ |
× |
ディック・フライ |
6分5秒 TKO |
1992年10月29日 |
名古屋レインボーホール |
× |
ヘルマン・レンティング |
4R1分50秒 裸締め |
1992年11月13日 |
大阪府立体育会館 |
○ |
山本宜久 |
延長1R14秒 ダウン |
1992年12月19日 |
有明コロシアム |
○ |
成瀬昌由 |
13分28秒 TKO |
1993年3月5日 |
尼崎市総合体育館 |
× |
ウィリー・ピータース |
10分18秒 ネックロック |
1993年5月29日 |
有明コロシアム |
× |
成瀬昌由 |
5R1分20秒 膝十字固め |
1993年7月13日 |
大阪府立体育会館 |
後川聡之 2戦0勝1敗1引き分け
△ |
平直行 |
判定引き分け |
1992年2月28日 |
後楽園ホール |
× |
ボブ・シュライバー |
判定 |
1993年6月9日 |
後楽園ホール |
アダム・ワット 2戦0勝1敗1引き分け
△ |
ハンス・ナイマン |
時間切れ引き分け |
1992年3月5日 |
尼崎市記念公園総合体育館 |
× |
ピーター・アーツ |
2R2分42秒 KO |
1992年5月16日 |
有明コロシアム |
玉城厚志 2戦0勝2敗
× |
成瀬昌由 |
24分22秒 TKO |
1993年4月30日 |
後楽園ホール |
× |
成瀬昌由 |
8分39秒 肩固め |
1993年6月9日 |
後楽園ホール |
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